世界最小サイコロの作成に成功
株式会社入曽精密(従業員14名)では、微細加工に秀でており、0.1mm角の世界最小のサイコロを製造することに成功しています。0.1mmは、髪の毛の太さとほぼ同じです。
サイコロと言えば、ギャンブルの印象を強く感じますが、昔は占いなどの儀式に用いていました。現在はJISなどの工業規格があり、均一の品質で生産することが可能となりましたが、出目の確率についてはどのように考えていたのでしょうか?
サイコロの形や数
多くは正六面体で、転がりやすいように角が少し丸くなっています。各面にその面の数を示す1個から6個の小さな点が記されていて、対面の点の数の和は必ず7となります。
この点は“目”、または“ピップ” (pip)、“スポット” (spot)、まれに“ドット” (dot) とも呼ばれ、日本製の場合、1の面の目は赤く着色されていることが多いです。点ではなく算用数字が記されているものもみかけます。
数字の配置
サイコロの目の割り振りは、ほぼ「天一地六東五西二南三北四」(雌サイコロ)と決まっています。これは、日本だけの特徴ではなく世界的な共通点になります。
ただし、「南三」でなく「北三」になっているサイコロもあり、「南三」を雌サイコロ、「北三」を雄サイコロと呼ぶこともあります(異性)。
サイコロの雌雄の見分け方は、1・2・3の面が集まる頂点を正面に置き、1→2→3の順に見たときに時計回りになるのが雄サイコロ、反時計回りになるのが雌サイコロである。舟になぞらえて「天一地六表三艫四面舵二取舵五」ともいいます。
出目の確率 いかさまサイコロ
サイコロの目は、もとの六面体を凹ませることで作るため、目の分だけ各面から質量が取り除かれることになり、重心に偏りを生ませています。特に、最も数の差が大きい1の面と6の面が向かい合っているため、目の大きさが全て同一のサイコロは1の面側に重心が偏り、転がした際に6の面がもっとも上になりやすく、乱数発生に不都合が生じるのです。
このことを考慮したサイコロでは、各面に刻む目の容積をその数に反比例させ、1の目が最も大きく、2はその半分、3は3分の1、…6は6分の1、という具合に徐々に小さくなるようにし、各面が失う質量を等しくすることにより、重心の偏りを避ける工夫がなされています。
ただし、市販のサイコロの大部分はそこまで行わず、1の面の目だけが大きく他は同じ大きさといった程度ですが、この場合、最も上になりやすいのは5の面です。
また、各々の面において目の配置が点対称あるいは左右対称なのも、配置による重心の偏りをなくすための工夫です。
さらに、カジノゲームのクラップスや競技バックギャモンで使われるダイスでは、少しでも重心の偏りをなくすため、目を凹ませた後に素材と同比重の塗料(もしくは本体と同材質異色の材料)で埋めてあります。また角も丸められてはいない。これらをプレシジョン・ダイス(precision dice、精密ダイス)といいます。
また、各目に穴を空けずに塗装するだけのサイコロもあります。もちろん、このようなサイコロには重心の偏りが少ないです。
逆に、わざと重心を偏らせて特定の目が出やすいようにしたものをグラサイと呼びます。
サイコロの投げ方
現在はサイコロを床や地面に落とし転がしますが、昔は空中に投げていたそうです。神に届けとばかりに全力で投げていたのかもしれません。さらに、目が決まる前ならば空中のサイコロを掴み、仕切り直す事が許されていました。
歴史
正六面体のサイコロの発祥地は古代インドとも古代エジプトとも言われています。現在と同じように1の裏が6であり、反対面を足すと7になるサイコロの最古のものは、紀元前8世紀頃のアッシリアの遺跡から発掘されたものです。
古代メソポタミアの遺跡からは、4面のサイコロが出土したが、当初はゲームのコマと考えられていました。
古代ギリシアでは、3個、時に2個のサイコロを使った賭博が非常に盛んに行われており、特に上流階級の酒宴(シュンポシオン、ギリシア語:συμποσιον)の席では、欠かせないものとなっていました。またギリシア神話には、パラメーデースがサイコロを発明したとの記述も残っています。
古代ローマ時代には正二十面体のサイコロも作られており、現在イギリスの大英博物館に収蔵されています。ただし、これは各面に記号を刻んだものであり遊具ではなく占い専用の道具であった可能性が高いとされています。
特に祭りの際に、サイコロによって決まった決定には無条件で従わなければならず、自由民の間で、愚かな命令が繰り返されたとされています。
古代インドでのサイコロゲームは、危険を秘めてはいるものの、高い階級の人々の教養のたしなみのようなモノだったと考えられます。マハーバーラタという聖典には、一国を賭けた戦いにおいて「剣で戦うか?サイコロで決着をつけるか?」という選択が起こる場面がありますので、サイコロは政治的な駆け引きにも使われたのかもしれません。
中世以前のヨーロッパで使われていたサイコロは重心や形が不揃いで、理論として確率を予測することは困難でした。13世紀にヨーロッパ各地で均質なサイコロの生産が始まり、サイコロのデザインが標準化されることで、出目のパターンを予測する事が可能となりました。
サイコロの出目の確率を数学によって解き明かしたのは、1564年に数学者ジェロラモ・カルダーノの著した『運のゲームの本』というギャンブル指南書が最初と言われています。
力を増すキリスト教会の陰で、神秘主義が流行り、サイコロを魔術的な道具とする傾向も強まっていきました。
中世のヨーロッパでは、ゲームにしろ、占いにしろ、サイコロは基本3つを同時に振るのが基本だったようです。すでにサイコロは立方体形がスタンダードだったから、数字は3~18を表せたことになります。
日本へは、奈良時代に中国から伝来しました。当初は、棒状のものと正六面体のものの両方が用いられていました。長く続いていたサイコロ信仰ですが、現在はすたれてしまいました。おそらくは、1910~1945年までの、大日本帝国により支配された時代に、賭博が厳しく取り締まわれたためだと考えられます。
宗教儀式としての道具
サイコロの目の確率は人智では予想ができないものと考えられていたため、サイコロの動きを、神の意志と捉えて宗教儀式などに用いられる事がありました。特にサイコロ発祥の地の一つとされているインドの神話を集録した『マハーバーラタ』にはサイコロ賭博の場面が多く登場します。
これは、サイコロ賭博そのものが元々、物事の吉凶についてサイコロに託して占った結果を他者と比較した事に由来するからだとも言われています。
日本でも平安時代に藤原師輔が親王誕生を祈願してサイコロを振った故事(『大鏡』)があり、院政全盛期に絶大な権力を誇った白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」(鴨川の水の流れ方、双六のサイコロの目、比叡山延暦寺の僧兵、私の思い通りにならぬものはこれ)と述べたという記載が平家物語にある。
また江戸時代には航海の安全を祈ってサイコロを船に祀るということが広く行われていました(船霊参照)。
サイコロ賭博は悪
古くから多くの文化において、賭博は悪だとされ、賭博によく使われるサイコロも悪だとされてきたようです。
実際、かつては日本でも、マハーバーラタを翻訳する際に、「聖典には馴染まない描写」として、サイコロを用いた賭博ゲームに関するシーンはよく削られてしまいました。
マハーバーラタ内には、「賭博は苦しみの原因」などと非難するような記述がある一方、サイコロゲームの賭博に熟練した王や聖者が多く登場しています。
比喩表現
カエサルが元老院に逆らい、ルビコン川を越えて南側のガリア・キサルピナに踏み入った時、率いていた軍勢に「賽は投げられた (alea iacta est)」と述べたとされます。運命の歯車は既に回ってしまった、といった意味で使われました。
サイコロは一般的な形状から立方体、あるいは漠然と四角形を比喩することがあります。調理法の賽の目切り(サイコロのように立方体に切っていくこと。サイコロステーキやミックス・ベジタブルなどに見られる)などはその例です。欧米においても同様の切り方を「Diced」(Diceは英語でサイコロのこと)と呼んでいます。